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文化の出会いがあった
ーフランス語劇公演を終えてー
日仏交流の会パザパ代表
手塚直美
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| フランス公演の現地ポスター |
2003年、元旦。年賀状の束とともに、一通の手紙が届いた。昨年夏、娘と私が三日間、ホームステイをさせていただいたベルシュさんからのものだった。ベルシュ一家はフランス中央部、パリから南へ600キロ、オーベルニュ地方の中心都市であるオリャック市に住んでいる。この町は私にとって特別な思い入れがある。過去二回私はこの地を緒と訪れている。この町には、「エコール・オーヴェルニャット・ドリャック」という、オーベルニュ地方の伝統文化を守り、育てている民族舞踊団がある。その人たちと十三年前から親交を結び、何度か町を訪れては、置賜の風土から生まれた民話や童話をフランス語の演劇に仕立てて、町の人に紹介してきた。今回は、犠牲と友情がテーマの浜田広介の「ないた赤おに」。初めて訪れたとき、上演した作品でもある。
一行は、小学生を含む十四人。各々が家庭や職業をもっての参加であるから、わずかな時間を見つけては、準備と練習を重ねた。家庭や職場の理解、音楽や小道具、大道具など裏方の仕事を引き受けてくれた古い友人たちの協力があっての訪問だった。2002年8月12日、夕刻。パリから七時間半、列車を乗り継いで私たちはようやくオリャックへ到着した。真夏なのに長袖が必要なほど寒かった。出迎えの中から一人のご婦人に声をかけられた。私のことを覚えているのだという。そして、傍らの娘を見て「あら、彼女があの時のベベ(赤ちゃん)?すっかり大きくなって」と目を細めている。九年前、紙オムツ持参で参加した娘も十歳になっていた。「私の車に乗って」と私たちはさらわれるようにして歓迎会場に向かった。「オリャックに帰ってきた!」と私は心の中で叫んでいた。
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公演は、二日目の晩に町のホールでおこなわれた。オリャックの子供たちは、赤おにと村人たちが仲良く盆踊りをするシーンがお気に召したようだ。踊り手の中には小学生がいる。
泣き泣き練習したかいがあったというものだ。自分たちの公演が終わってほっとしていると、突然、壇上に呼ばれた。日仏の両グループが同じ舞台に立っての合唱。百年前の衣装に身を包み肩を組み合って歌った。文化の出会いがそこにはあった。
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| 現地新聞掲載記事 |
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郊外の小さな公民館で送別会が催された。シャンパンが振る舞われ、持ち寄った手料理に舌鼓を打ち、ダンスやゲーム、おしゃべりに興じる。気が付けば、もうじき夜明け・・・。第二の故郷オリャックの友人と再会を約束して別れたのがきのうのように浮かぶ。私たちが主催する日仏交流の会「パザパ」は、日本とフランスの文化交流を目的として2001年6月に誕生した。ふだんは、フランス語教室や年一回のフランス語コンクール、夏至の日コンサートなどを開催している。相手の国や文化を知ろうとすることで、その国に対する理解や尊重の気持ちが芽生えてくる。と同時に、それは、自分の国や文化、自分の生まれた町、生活、ひいては自分自身へ向かう意識の流れでもあろう。
今回の公演を通じて、日本人が何を美しいと感じ、何を尊いものとしてきたかをフランスに伝えようとした。その意図が図らずも、自分に向けられ、自らの内、奥にある遠い祖先からの脈流を感じることになった。不思議な感覚であった。
娘はもう一度オリャックを訪れてみたいと言う。「ナタンやクレルがいるから」それだけの理由からだ。彼らが米沢に来たらどこへ案内したらよいか。何をごちそうしようか。今、真剣に考えている。これからも地球という星に、同じ時代に生まれた人たちと交流を続けたい。PAS
A PAS (パザパ) 一歩、一歩。
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| 2003年2月24日 「山形新聞」掲載 |
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